#深夜の俺の戯言

昼間の戯言でも深夜テンション。

パスカルの三角形と多次元空間

今週のお題「大発見」

2020年に執筆した記事です。自分なりの大発見をドヤ顔で語った帰りにブログを書き、後から検索をかけると、類似記事を見つけたので公開には至りませんでしたが、折角なので公開します。

 

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このご時世だが、先日初めて会社の後輩と飲みに行った。後輩と言っても年齢は一緒だ。

程よく酔いが回った頃、中学生の頃から夢想している、多次元論についての自分の発見を語っていた。

 

中学生の頃、Newtonを愛読していた私は、多次元だとか相対性理論だとか、超ひも理論にすこぶる興味があった。

とりわけ4次元「空間」(時空ではなく)というのは、どのような形をしているのか、来る日もクラスメイトや塾の友達と語り合っていた。

 

そこで私は、n次元空間を構成するために最低限必要な、n次元以下の構成物を数えることにした。

まず0次元。0次元空間を構成するためには、0次元物体、即ち点が最低1個なければならない。そこで以下のような表を立ち上げる。

次に1次元空間を構成するためには、1次元物体(=線)が最低1個、そして0次元物体が最低2個なければならない。これらは自明に、同時に成立する。このことを表に書き加えると以下のようになる。

そして2次元空間についても考える。2次元空間、すなわち面を構成するために最低限必要な点の数は3、線分の数は3、面の数は1である。表に書き加える。

最後に3次元空間。もっとも簡単な図形は四面体(三角錐)であり、それを構成する点の数は4、線分の数は6、面の数は4、立体の数は1である。

 

ここまでは簡単だ。そして問題はここからだ。

マトリックスの埋められそうなところを埋めていくことにしよう。

まず2行目、つまりある次元を構成するために最低限必要な点の数に注目する。どうやら、n次元を構成するためにはn+1個の点が必要らしい。ならば、4次元を構成するために最低限必要な点の数は5個だろう。

次に最終行、これも当たり前だが、2次元を構成するために(最低限)必要な2次元物体の数は1である(本当は最低限でもあり限界の数でもある)。3次元空間を考えるとき、3次元物体が1個ないと始まらない。同様に、4次元空間を構成するために最低限必要な4次元物体の数は1である。

 

では、n次元を最低限構成するために必要なn-1次元物体の個数について考えよう。

ここで表をぼーっと眺めていると、パスカルの三角形が隠れていることに気が付く。

パスカルの三角形。二項定理とかでお馴染み。

とすると、例えば下表のように、マトリックスを拡張できるのではないか。

 

つまり、4次元空間の最も簡単な図形は、5つの点、10本の線分、10枚の面、5つの立体(恐らく三角錐)からなるものと考えれる。

 

もっとも、上表ではパスカルの三角形の端にある、1が連続した階段を表現できていない。

恐らく空集合がそれに該当する。つまり、任意の次元において「何もない」状態も当然あるわけだ。

任意の次元において空集合の存在を考えることが可能であるから(その瞬間に他の項もパスカルの三角形によってユニークに算出される)、パスカルの三角形を無限に拡張できる、すなわち任意の次元にまでこのルールを拡張できると直感している。

 

すると、-1次元とでも呼ぶべきパスカルの三角形の頂上の「1」に疑問が湧くが、これこそ真空であろう。次元の概念すらない、全くの空集合だと思われる。

 

 

以下おまけの思考実験

 

3次元空間では、2次元図形の全体像を瞬時に把握できる。(我々が生きている世界を3次元空間だと仮定しています)

しかし2次元空間では、2次元図形を1次元的にしか捉えられない。

紙面上に棒人間と〇を描き、棒人間に目が合ったとすると、彼にはその〇は|のように見えているだろう。

実は我々も同様で、3次元物体を2次元投影した視覚情報が見えているに過ぎない。

つまり、机の上にりんごがあるとき、そのりんごの後ろ側や、机の裏側を一視点から観測することはできない。

 

では4次元空間で3次元物体を観測するとどうなるか?
そう、3次元物体の上下前後左右のすべてを同時に観測できるはずだ。

 

三角錐の展開図を描くと、ゼルダの伝説トライフォースのような形状になる。

では上表で論じたような4次元物体の展開図はどのようになるかと言えば、恐らく三角錐の四面それぞれに三角錐がくっついたような形状をしているのだろう。

我々の知覚ではここまでが限界だ。

展開図で角のように尖った三角錐の4点を「4次元的に」閉じて一つの点にまとめると、5つの点からなる4次元物体が構想できる。

 

2次元人は、三角錐の展開図を描くことはできても、三角錐を知覚できない。

三角錐を2次元空間に持っていけば(三角錐の任意2次元断面を考えると)、必ず三角形になってしまう。

同様に、4次元物体を3次元空間に持ってくると(任意の3次元断面を考えると)、必ず三角錐になるはずなのだ。

 

そのような「展開図」の裏も表もすべて視える状態で、4次元空間を閉じることができる。

(たぶんcosα=1/4となるようなα(約75.5°)だけ、4次元方向に上手いこと回転させると4頂点がくっつく)

4次元物体の展開図。四面体の周辺に四面体が接着している。

 

朝井リョウ「正欲」 読書感想文

久々に読書した。ゲームが趣味になってから本を本当に読まなくなった。特に小説。論文とか専門書ばっかだった気がする。

 

ついさっき読了したので、忘れないうちに殴り書き。

 

桐生夏月「一人の頃に戻れないかも」

↑わかる

↑わかるマン

↑せやな

 


大也のマイノリティの叫びに対して怯まなかった八重子偉い、マジで偉い

心を開こうとしていた大也も偉い

 


みんな不安で、これが「正解」ということを互いに確認し合わないと生きていけない

↑なるほど

成歩堂龍一

↑この本を読んで良かったと思えた新認識

 


俺はあまりそこに他者の共感を求めない

いや、パフォーマンスとして共感を求めようとはするけど

自分のフェチについて、引かれること前提でウケ狙いで晒せるあたり、俺は「正解側」の内側にいる自覚と安心感から、自己の奥底を開示できるくらいには安心していて、尚且つ強いんだろうなと。

 


一方、友人と自分の好みが完全一致したときはハイタッチしてしまったから、やはり同じ嗜好の人間とその「不安」を共有し、それが「正しい」と認められる空間は尊いんだなと。

 


特殊性癖の人間から直接そういう告白を受けたことはないから、いまいち実感が湧かない。

本を読んで分かった気になるのは、この本を読んだ後だからこそすごく危険だと思うし、解説がウダウダ喋っていたのと重なるけど、地雷を踏まないように触れないでおくことしかできない。

ただ俺は個人的に八重子側というか、単に純粋な好奇心から、知りたくなってしまう。

 


「不快」と思った側が勝ち

小児性愛はマジョリティにも理解しやすい「特殊性癖」

想像もしえない、知らない世界

 


インターネットの普及した世代で生きているからこそ、理解を拒まない個人的な性格だからこそ、知識として、世界には特殊性癖を持つ人がいることを知っている。

すごく傲慢だけど、彼らが「理解を求めることを諦める」対象に俺が入らなければいいな、と心の底から思う。

誰かに諦められることが俺はすごく怖い。

 


寺井パートは毎回つらかった。

たいきくんの心情は本当によく分かる。

 


我が家の父親がまさしく、自分の信じる世界こそ正しい、他は全て間違っている、と考えているかのような態度で、この28年間俺に接してきた。

それが俺は大嫌いで。

何度も何度も何度も「この人には何を言っても無駄だ」と思ってきたし、今となっては本当に彼から理解を得ることを諦めている。

 


俺は、俺自身は、インターネットの普及から?世界の広さを知った気になっている。少なくとも、自分の生きている世界だけが正しいとは思わない。

だから、他者理解を拒みたくない。

理解されたくない人のことを理解する気はないけど。

理解されたいけど理解されない人のことは救えたらいいなって。そういう機会があればだけど。

一年

あれから一年が経った。

 

2022年11月23日。

その日はサッカーW杯の日本代表グループリーグ初戦で、ドイツと試合の予定だった。

嫁は仕事に行き、夕飯は大戸屋で食べる約束をした。

勤労感謝の日で休みだった自分は、発売直後のポケモンヴァイオレットをプレイし、約束時間の20分ほど前にストーリーをクリアした。

 

結婚式まで1ヶ月を切り、式場との打ち合わせに追われていた気がする。

 

席に着き、私は「チキンかあさん煮定食 味噌味」を頼んだ。

 

ホールスタッフが席を立つと、彼女は徐に口を開くのだった……。

 

 

 

 

 

「結婚式をやめたい」

 

 

 

 

 

 

それが究極意味するところは離婚であり、彼女には固くその意志があった。

 

それから1ヶ月、彼女の心をなんとか温めようと奔走したが焼け石に水、いや焼けてはおらず冷め切っていたが、何の意味もなく、絶望の中、離婚届にサインした。

翌12月19日、離婚届は受理され、8ヶ月に満たない婚姻期間は幕を閉じた。

 

 

つらかった。それはもう間違いなく。

ただ、賃貸やらインフラの解約、引越し手続き、会社へ届け出る身上異動届の準備、結婚式のキャンセル手続など、そういった雑務で気を紛らわせていた。

 

破局の原因を自分に求め、大いに責めた。メンクリにも通ったが、当時打ち込み始めたギターが沈んだ心を救ってくれた。

 

 

メンクリの先生は、「また季節が巡って冬になると、思い出してしまうかもしれません。辛くなったらまた来てね」と声をかけてくれた。

 

一年が経った。また冬が来る。

 

日に日に寒さを増す日々に呼応するように、あの日の記憶がフラッシュバックする。

チキンかあさん煮定食の味。帰路の雨音。数m離れて後ろを歩く俯いた彼女の姿-。

 

 

 

 

 

春が来て日照時間が延びるにつれ、メンタルは回復していった。2週間だけ恋もした。

この頃はリコンナーズ・ハイだった。(なんだそれ)

 

とにかく自分をぶち壊したかったし、金を使いたかった。ある意味、自傷欲求に近かった。

 

手始めに30万のギターを買った。

「自分のためだけに金を使えるぜガハハ」

くらいの感覚でイキってたと思う。

でも今は君に救われている。あの日買ってよかった。

 

GW明けにパーマをかけた。前からやりたかった髪型ができて嬉しかったし、もし職場でなんか言われたら暴れてやろうと思っていた。

職場ではなんも言われなかった。むしろ吹っ切れたことを褒められた。

 

夏にはレーシック手術をした。電話越しに話聞くだけ聞こうと思ったら、ノリだけで手術することにしてしまった。ほんと、あのときは何かが身体を乗っ取っていたと思う。

後悔はしていない。メガネという自分のアイデンティティをぶち壊したかった。

🤓←この顔文字が自分を見ているようで死ぬほど腹立つので、自己破壊衝動には前々から駆られていた。

 

こうして、全裸でギターを弾いてるだけでもトータルコーデ70万の男が誕生した。

 

 

自分の見栄えに金を使うようになったと思う。まあ相手もいないし実家暮らしだから当たり前なんだけど。

 

美容院に金をかけるようになった。いいワックスとかヘアオイルとか取り揃えるようになった。化粧用品を買うようになった。爪磨きを買った。

 

なんでだろうね。まず美容に走った。

今にして思っても、別にモテたいわけじゃない。

なんというか、来るべき瞬間に、自分の好きな人が自分を好きになってくれる準備とでも言うべきか。

浅ましさや男の性欲に辟易としつつ、整髪や化粧が上手くいくとテンションが上がる。

 

の割に高い服を買う金はないので、ユニクロで誤魔化している。ブランド知らんし興味ないし。

 

 

自分をよく知る女性陣の大半が「メガネの方がいい」というので、11月にメガネを作り直した。

こうやって他人の容姿にズケズケと意見するのは女と相場は決まっている。

事実、めちゃくちゃ似合っていた。

 

またこの顔🤓に戻らないように誤魔化し誤魔化し生きているのが近況…なのだろうか。

 

 

 

最近は暇さえあればギターをしている。

まだまだ学ぶことが多いから、どんどんと上達していくその過程が楽しい。

良い意味で自分にも諦めがついており、他者比較により落ち込むこともない。極めて健全に趣味をしている。

「27歳は音楽を頑張る」と裏テーマを掲げており、それにそぐわない活動ができている…かな。

 

 

離婚という最大のテーマがあるのだけれど、あのイベントのおかげで、少なからず自分は生まれ変われたと思う。

留年した時にも同じようなことを思った。明確に思考が一皮向け、パルス波のように突然、断続的に大人になった記憶がある。そんな急激な成長を今年も感じた。

 

 

 

あれほど人を愛おしいと、憎ましいと思ったことはない。

 

一年が経って、どうだろう。

 

彼女の顔の輪郭すら朧げになってきている。

名前を思い出すのが、非常に憚られるというか、忌避反応の一種だろうか。もちろん思い出せるが、そのシナプスを頻用していない自覚がある。

 

忘却という脳機能は、こういう別離や死別のために用意されているのだと思う。進化ってすごいね。

 

 

一年の節目は割と自由に設定できる。

自分の場合、正月と自身の誕生日に設定しているが、やはり離婚記念日も立派な節目になりそうだ。

 

 

あれから一年が経った。

 

 

お元気ですか。

彼氏はできましたか。

今度の彼氏のセックスは上手いですか。

幸せな人生を歩めそうですか。

気になる女に彼氏がいた話

掲題の通りであり、それ以上でも以下でもありません。

 

金曜の朝にその彼女の友人から、「土曜に彼女と飲むけど来る?」とLINEが入り、これは気合を入れて行かんといけんぞ、と十二分に肩回しをして飲み会に臨みました。

 

シャワーを浴びて髪をリセットし、ドライヤーで癖をつけるように丁寧に乾かし、化粧水を塗り、髭を剃り、眉も整え直し、BBクリームで綺麗な白い肌を演出し、コンシーラーでシミやニキビ跡を隠し、ハイライトでデコや鼻や顎を立体的に見せ、ヘアオイルを塗り、ワックス乗りが微妙な日にも関わらず無理やり仕上げ、ぐうキュン眼鏡をかけ、シルバーネックレスも付け、爪を先日バチバチに磨いておいて良かったと思いつつ家を出ました。

 

つまり、120%の出力で臨みました。現段階の自分の出来うる全てをぶつけました。

 

ミドルノートは30分くらいでよく香るので、約束の30分前に香水を振りました。

 

指定された店は客単価3000円ポッキリの2時間飲み放題付きで、お世辞にもいい感じの店ではありませんでした。

 

道に迷ったそうで、5分くらい遅れて彼女が来ました。顔はぐうタイプだなと思いました。

取り留めもない話をしようと努めました。私は緊張から手が動きっぱなしで、箸袋を使って箸置きを作っていました。

 

さらに10分くらいしたところで友人が来ました。ようやく開会です。

 

以前彼女に会った際、相手がいないことは確認済みでした。当時、交際を申し込めるような関係になかったので、ビビリな私は「相手ができるまで遊んでください、できればそのレースに出走させてください」となんとも情けないお願いをしていました。したがって、その後彼女に相手ができたかどうかを確認することが、優先事項でした。

 

あるタイミングで、友人が惚気話を始めました。この人には相手がいます。

「でもいまは結婚とかいいかなあ」とか宣うので、「それはいる側の余裕だろ」と私は突っ込みました。彼女も「そうだそうだ」と便乗しました。

 

このとき私はまだ負けていないことを悟りました。彼女にはまだ相手がいない。これは全然ワンチャンあるぞと。

 

安心から緊張も解け、適当に喋って2軒目に移ることになりました。そのタイミングで、もう一人共通の友人が呼ばれました。その友人は男性で、少し前、彼は彼女に気があったことを知っていたので、内心は呼びたくなかったのですが、それをはっきり言わなかったことを少し後悔しました。

 

2軒目のバーで飲みつつ、私はお手洗いに立ちました。

戻ってきたタイミングで、「私の誕生日プレゼントに何を貰おうか迷ってる」という極めて不穏な話を彼女がしていました。

 

おいおいおい。

それはお前、リアクションが違うだろ。

なーーーにが「そうだそうだ」だ。

 

「あ、ごめん、これまだアンオフィシャルなんだよね」

残りの2人が言いました。

 

アンオフィシャルもクソもあるか。

付き合ってる時点でオフィシャルなんだよ。

 

「職場の悪い男に引っかかりました」

リアクションのために何かを発音する元気がなかったので、カクテルをちびりちびりと飲みました。

 

そのあとはなんか色々話してました。

誕プレに財布が欲しいと言ったらハイブラの店に連れてかれてビビったとか、うまぴょいっぽい話をしてた辺りでしんどくなったので、もう帰ろうかな、と思いました。

 

こいつらはなんて残酷なんだと思いました。

彼女な少なくとも、私が彼女を良く思っていることは理解しているはずです。

彼女の友人には何度か相談していました。

共通の友人に直接話したことはありませんが、彼女の友人はお喋りなので、伝わっていてもおかしくはないと思っています。

 

この世は弱肉強食です。

弱きは負け続けるのです。

言われようのない敗北感、劣等感に襲われました。

 

ヤケクソになって強めのカクテルを頼みました。

かなりハイペースで飲み干しても、全く酔いは回りませんでした。

 

各々が帰路についたころ、彼女の友人から

「いろいろ黙っててごめんねw」

とLINEが来ました。

 

ごめんねじゃねえよお〜〜

120%の最大出力でバチバチにキメていった俺が馬鹿みたいじゃねえかよお〜〜〜〜

 

強がって

「まー、時の運だし」

と返しました。

 

最寄り駅に着き、思わずコンビニでビールを買いました。それを飲んだ瞬間、一気に酔いが回ってきて、ひどく空虚な気持ちになりました。

 

「いまになってつらい」

と彼女の友人に送りつけました。

 

翌朝、彼女の友人から

「時差www」

と返信が来て、そっと既読スルーをかましました。

 

その夜の話は以上です。

 

小中学生の頃に味わいがちなこの気持ち。

言われてみれば自分は味わったことがありませんでした。

 

しかし悲しいかな、

「好きです」というたびに、その言霊が軽くなっていく感覚。

付き合って別れるたびに、失恋が軽くなっていく感覚。

このプチ失恋も、27歳の私の脳によって、日常の景色として処理されようとしています。

 

その瞬間を忘れないよう、恥ずかしくなるまでここに刻んでおきます。

回顧録 - 金木犀

午前9時、JR飯田橋駅

改装工事のために無駄に延びた駅のホームを歩いていると、金木犀が香った。

 

(こんな都心のど真ん中に金木犀…?駅ビルの植え込みに植えてあるのだろうか)

 

時候は9月の最終週。朝方は冷えてきたから、あながち花が咲いていてもおかしくはない。

 

(誰かの香水かな)

 

この際、飯田橋金木犀の有無はどうでもよかった。

ただ、あの甘く爽やかな香りは、嗅ぐ度に強く秋を連想させ、実感する。

秋晴れの空の下、陽だまりの中に涼風を感じる、そんな風に乗って、毎年香ってくる。

 

 

匂いというものは、記憶に深く関連付けられている風に思う。

以前住んでいた住宅の目の前は小学校で、防砂的な役割を求められてか、道路沿いに金木犀が植えられていた。

毎年秋になると可愛い橙色の花を付け、通勤時に香りを嗅いでは、ほくほくとした気持ちになっていた。

 

その家には元嫁と一緒に住んでいた。

日々の暮らしの中にぽろぽろと記憶が落ちている。そういった欠片を、見て見ぬふりをせずに、ひとつづつ、ひとつづつ、丁寧に拾っていこうと思う。

 

別になんてことはない、ただ平穏な日々だった。

秋も深まってくると、彼女は茶色のもこもこしたカーディガンを羽織っていた。

胸元から袖口に共用財布を忍ばせたりして、よく近所に買い物に行った。

夕刻、近所のスーパーに買い出しに行った帰りや、夜のコンビニへアイスを買いに行った帰り、彼女と「いい匂いだね」と声を掛け合ったはずだ。

 

ところで夜も更けると、金木犀の香りが弱まることをご存じだろうか。

本当のところは知らないのだけれど。

ある年の秋に、窓を少しだけ開けて寝ていた。

明け方になった頃、ふと目が覚めると、寝る前には感じられなかった金木犀の香りが、一段と強く感じられた。たったそれだけ。それだけからの安易な推察。

 

いい香りが漂う寝室の、隣に最愛の人が寝ている。

そういう毎日を、ただ守りたかった。

最終的に破滅へ向かうことを当時は知る由もなかったが、心底幸せな時間だったと思う。

 

 

そういう瞬間瞬間が、何かの拍子にフラッシュバックする。

金木犀の香りとか、旅行先の景色とか、デート先の施設とか、インスタントの味噌汁とか。

この記憶は呪いだろうか。囚われ続ける限り、決して幸せになることができない予感がする。

だからひとつづつ解呪して、記憶がただの風景になる日が来ればいいと願っている。

 

iPhoneの写真機能が、彼女との思い出を定期的にピックアップして来る。

愛し合って家族にまでなった人間を、高々破局した程度で記憶から抹消することは、自分にとっては非常に酷なことだから、彼女の写真は消せないでいる。

そんな彼女は、離婚を切り出してきた翌日くらいに、何百枚もの写真をクラウドサーバーに上げていた。インスタの投稿からも、自分との記録はすべて消去していた。

 

ほら、こうやって。芋づる式に出てきてしまう。

そうじゃあなくて、iPhoneの写真機能のサジェストを見ないように心掛けてきたら、最近は彼女の顔すらおぼろげになってきている、と書こうとした。

存外、定期的な関係のある人間以外の顔は、記憶から消されていくように脳ができているのかもしれない。

 

それでも、一緒に過ごした時間の影がつきまっとて離れない。

 

こうやって書くことで、金木犀と秋のテーマは、自分の中で赦せる過去になってほしい。

 

いつだって祈ってばかりだ。

書き殴り

きっかけは色々あったと思う。

自分を愛せるようになった。

自分磨きの必要性を知った。

頑張ろうと思えた。

自分に対する向上心が持てた。

ギターを毎日頑張っている実績がある。

頑張っている俺は素晴らしいなと思っている。

友人から勧められてMOROHAの革命を聴いた。

 

そういう前提条件を全部ひっくるめた殴り書き。

 

 

以前までは誰かに認めてほしかった。

言うなれば神というか、特定個人ではなく、赦しが欲しかった。

その赦しを与えられるのは、何かの信者でない自分にとっては自分しかいなかった。

自分で自分の努力を認めてあげることができるようになった。

と同時に、自分に足りない部分や伸びしろがあることを知った。

 

何かに熱中すると、とことん熱中できることは、学生時代のゲーム三昧の生活を経て知った。一般人は飲まず食わずトイレにもいかず18時間ぶっ通しでゲームできないらしい。

時間を忘れて、それも毎日、飽きもせず長期間にわたって同じことをし続けられることが才能だと、他者に言われて気づいた。

 

最近はそれをギターでやっている。「ギターが上手くなりたい、曲を作りたい、いつかステージに立ちたい」といったことを目標にやっている。

その目標のために、どんなに酔って帰ってきても、毎日ギターを触る自分は偉いと思う。

練習時間のログも取り始めた。多い日は1日5時間くらい練習していた。土日ならもっとやれよと思ったりする。まだゲームほどではない。

自分で自分の努力を認めてあげられるようになったのに、練習時間のログをスクショしてインスタのストーリーに上げた自分がきもい。他者評価に頼るな。いいねを媚びるな。

努力は見せるな。その方が多分格好いい。成果物はどんどん公開したらいい。弾いてみたとか、完成した楽曲とか、そういう成果物で他者評価を得ろ。過程を見せびらかすな。二度と見せびらかすな。

 

 

ギターを頑張っている自分が格好いいなと自分で思ったから。他人からも格好いいと思われたかった浅ましさが出た。

大丈夫。成果物でちゃんと評価してくれるはずだから。焦るな。

 

そしてある日気づいた。この過程こそが「自分磨き」とやらなのでは?

 

元嫁との離婚騒動を経て、どん底を味わって、カウンセリングに通って自分を見つめなおし、起きた事実を自分なりに(部分的に都合よく解釈したり曲解したりしながら)受け入れて、乗り越えたと思った。

そしてまたいま、反省のフェーズにいる。

 

彼女が言った「冷めた」という言葉の本質やその原因が今ならもう少し高い解像度で分かる。女の言う「私だけを見て」は「でも私だけを見ないで」と続く。

俺はたぶん彼女のことしか見ていなかった。

 

最近気になる子ができて、この悲恋(恋なんて生ぬるいものではなかった、言うなれば家族を失った)を乗り越えたかな?と思えた。

それを機に自分は色気づき始めた。ようやく。

恐らく都内の私大生はそういうことを学生時代に先輩の見よう見まねでやるのだろうけれど、筑波とかいう茨城のクソど田舎にはそんな概念なかった。という言い訳。

まあいいんだ、意識し始めただけ偉い。

それで、恋愛系やメンズメンタルみたいなYouTube動画をめちゃくちゃ見るようになった。かなり女心や弱者男性の思考について、解像度が上がった。

 

話を戻すと、そういったYouTubeの情報収集から、元嫁との交際婚姻期間に自分は何が足りず、彼女は何を欲していたのかが見えてきた。

要は、当時の俺は現状に甘え、惰性で生きていた。メスからすれば何の魅力もないわけで。

正直、まあフラれてもしゃーなかったなとは思う。魅力のないオスを、結婚までしても損切りする元嫁の勇気に感服すらする。

 

それでいま、ギターを通して自分磨きをしていることに気づいた自分は、もっと外見でも修正して向上させられる点が無数にあることに気づいた。

 

最近見ているYouTuberのとある動画で、

「街中歩いてるとかわいい女は5秒に1人いる。でもどうだ、格好いい男はそんなにいない」

と言っていた。真理だと思った。

 

元嫁を思い出しても、女性は髪型からメイクからコスメグッズから服から、容姿に係わる事柄の何から何までについて、興味関心をもち、自分がよく見えるように研究を怠っていなかった。当然研究費も相当かかるだろう。

 

一方自分はどうだ。自分がよく見えるような研究は一切してこなかったではないか。

幸いなことに、顔面や体系が壊滅級ではないので、ある程度整髪してこざっぱりとした服を着ていれば一般人レベルにはなれるのだが、まあ全力でもそこ止まり。

 

こんにちになって、いざ外見に気を遣おうと思い、まずは化粧水と乳液を風呂上りにつけ始めるようになった。ギターを毎日続けられるのだから、こんな液体を顔に塗りたくるくらい毎日できないはずがない。

髪は櫛でとかしてから乾かし、最後は冷風を当てるようになった。

女の子がいる空間に出かける際には香水をつけるようにもなった。

 

そのあたりでふと気づく。こんなこと誰に教わったんだっけ…?

全部元嫁が教えてくれたことだった。

あまりにもその辺に無頓着な俺を憐れんでか、俺自身が本当に興味がなかったことも察しつつ、たまーにそういう美容に関することを教えてくれた。

眉の整え方とか、爪の磨き方とか、クリアネイルのしかたとか、ビューラーの使い方とか。

 

今になって彼女のことを愛おしいとは、自分でも残念ながら全く思わない。

しかし、こういった事柄の基礎を教えてくれたことにようやく気付き、感謝はしている。

 

いろんな感情が同時に押し寄せてきたので、整理してまとめる。

まず復讐心があった。「普通にイケメンになってお前を絶対見返してやる」と思った。憎しみとか呪いではない。なにくそ見てろよ、という反骨心のようなものか。

そして彼女の選択を恨んだ。なぜ離婚まで踏み切ってしまったのか。現に今、変わろうと思えている俺には、変われるポテンシャルはあったのではないか。

そして自分のカンの悪さに反吐が出る思いだった。彼女が当時、すべて教えてくれていた。なぜ当時気が付かなかったのか。なぜ無碍にしたのか。受け入れていたら違う未来が待っていたのか。

しかし過去は変えられない。自分を変えて未来を変えるしかできない。

ぜってーお前の選択を後悔させてやる、と思った。

しかしどうだ、死ぬまで彼女には会いたくないと思っている。許す許さないどっちが悪いどうこうではなく、死ぬまで会いたくない。死んでも向こうでも会いたくない。

であるならば、仮に俺が変われたとして、彼女は一体それをどう認知できようか?認知できない限り、後悔もしようがないではないか。

中高生の恋愛観かよ。きもいなあ。

 

別にあの女のために変わるのではない。自分のために変われ。

自分のために生きろ。女のために生きるな。

追うな。追わせろ。

無理な計画をするな、刹那的に今日を生きろ。

「いま一番大事なことをやろう!」キュアサマーの精神で生きろ。

 

自分のために生きる。

彼女からの最後の手紙にも書いてあった。

「もっと自分を大切にしてください」

卑屈な自分への、自己愛を持った方がいいよ的な文脈だったかもしれない。

自己愛の究極系は自分のために生きることで、それこそが人間としての魅力につながることをようやく理解した。

 

自分を優先しろ。やりたいことをやれ。場のノリとか雰囲気に流されるな。

 

今後やりたいこと

・全身脱毛

・カラーワックス買う

・季節ごとの服買う(ほかにも欲しいものがたくさんあるので、トレンドをしっかり追って、さっぱりしたユニクロとかでいい、ブランドでなくてもいいらしい)

・パーソナルカラー診断

・優しい美容師のいる美容院に行って似合う髪型を模索する

・爪やすり買う

 

この手の話は金掛けようと思ったら際限ないのだが、他にもやりたいことたくさんあるので、今は初心者だしほどほどにしておこうねと思っている。

 

人生始まったな。頑張ろうな。

邂逅

別に誰に見せるでもないブログなんだけれど、facebookに昔貼り付けたリンクからのアクセスが最近微増したので、大元の投稿の表示を制限しました。

それでもここまで飛んでくる物好きの皆さんという解釈のもと、今後も飾らない日々を綴ります。

 

 

これまで何年か生きてきて、何人かの異性と交際しては別れてきた。

 

まあ以下基本的にクソキモいのだが、このブログはクソキモい自分のクソキモい肥溜めなので、臆することなく書き切るし、キモかったら罵るなり、ブラウザバックして頂きたい。

 

一番印象に残っているのは、正直初めての彼女である。

高2の半年間お付き合いして、恋愛の「れ」の字も知らない不器用な僕らは、特に何もせず、何もなく別れた。

何もしなかったというのは、文字通り解釈すると嘘です。一緒に下校したり、花火を見たり、音楽室でゲームしたりしました。青春すぎてつらい。

 

人生で最も多感な時期に最も心を動かされた人なので、なんというか執着が酷い。

卒業後、何かのイベントでたまーに再会しても、顔と声が好きだなーとなるし、何より挙動がツボすぎる。狂わされている。クソです。

交際できるかどうかは別として、正直何度でも好きになる自信がある。ぼくの恋心はガバガバなので。

 

去年(2022年)の6月に、部活の同窓会があった。

当時の部長と久しぶりに飲んだとき、若干の下心を込めて「同窓会したいよお」とベトベト絡んだところ、彼は観念し、企画してくれた。その節はごめん。ありがとう。

 

ついぞ彼女の日程調整が○になることはなく、同窓会は敢行された。いやまあ、普通に楽しかったけどね。めちゃくちゃ楽しかった。

 

あの子に会うと、刷り込み的な理由から?100%童貞ムーブをしてしまうので、なんか会いたいけど会いたくない感じはしていた。

 

断じて今後のワンチャンを狙っているとかそう意味ではなくて、当時の余りにも下手くそすぎた自分を成仏させたくて、再び話が出来る機会を薄く望んでいた。極めて利己的に。

けれど、もう二度と会うことはないと思っていた。

 

昨日(2023/03/22)、遂に邂逅を果たした。

私の知人から誘われたコンサートに、彼女もまた別ルートで足を運んでいた。もちろん事前にそんなことは知らない。

彼女が会場の扉を開けて入ってきた瞬間に察知して、食い入るように観察した。キモすぎる。

3〜4年会っていなかったし、マスクで顔は半分隠れていたが、一瞬でわかってしまった自分が怖い。

 

過去、逆目線のブログを書いたことがある。

また別の女性と交際し、破局した後、新宿の人混みの中で彼女から声をかけられた。

自分は最初気が付かなかったが、好きな人、好きだった人の影はいつでも追ってしまうし、どんなありえない状況下でも見出せるもんだよね、といった趣旨だ。

 

それを自分も成し遂げる自信があったが、いざ成し遂げてしまうと少し引いた。

逆に、彼女を試したくなってしまった。キモすぎる。

講演の休憩時間に、マスクで顔を半分隠し、彼女が使ったのと同じ扉から出入してトイレに行った。もちろん、そこでドッキリ鉢合わせなんてことはない。

 

講演が終わり、誘ってくれた友人への挨拶を済ませた後、帰れずにいた。彼女に一言挨拶したかった。分かるかな、分かってもらえなくてもいいんだけど、少しでも自分と関わりのある人が、昨日も今日も心身ともに健康で、明日もそうあるようならそれで幸せなんです。それを確認したかった。

 

彼女は彼女なりに、その友人知人と話し込んでいた。割って入るのは、彼女の前で童貞ペルソナを被る自分には難儀だった。

 

うーんうーんと、トイレの前の犬のように、1,2分ほどその場でクルクル回って逡巡し、意を決して声をかけた。

 

「……お久しぶりです」

「!!私は君がいるの気付いてたよ、休憩時間に出ていくのみてたから」

「……バレてたか」

「私視野広いからね笑」

 

俺の心の豆腐、一丁きりの純白な絹豆腐を、彼女は容赦なく細切れにし、タレを絡めて麻婆豆腐にしてくる。当時から変わらない、そういうところがツボすぎる。

こちらのキッショい童貞ムーブが原因で埋められない溝に、彼女は平気で橋を架けて詰めてくる。

 

まあ僕はあなたが扉を開けて入ってきた瞬間に気付いてましたけどね、とはキモすぎて言えなかった。気付かなかったということにしておいた。

 

ただ、彼女も自分のことを認識していたという事実だけで死ねた。他人を観察しがちな性質を持っている人ではあるけど、しばらくぶりの自分が忘れられていなかった事実に安堵した。

 

「元気だった?」と聞かれたが、色々思うところがありすぎたが故に少しどもり、

「あーーーうーーん、まあ最近、ほんとここ数日は元気」となった。

 

なんかこの人にはもう全部聞いてほしい、と思ったので、

「あのーーー。私昨年結婚しまして……それから離婚しました」と謎敬語で報告した。きっしょ。

「結婚報告はFacebookで見たから知ってたんだよね……離婚したの⁉」と、当時と変わらない朗らかなリアクションが返ってきた。

 

適当にお話ししていたら、運営サイドから会場の時間を理由に追い出された。

さよならは言えなかった。

 

各々のグループの輪に戻り、夕飯を食べに街へ繰り出した。

我々はたまたま、同じ坂道を、お互いが前後にいることを認識しながら下った。夜桜がライトアップされており、とても綺麗だった。

私たちのグループが、とある一軒の前で足を止めたとき、彼女らは追い越していった。

 

その刹那、彼女は小さく指先を開閉し、別れの挨拶をくれた。

なんとも粋であったし、流れるようなその所作とその美しさに見惚れた。

そういう綺麗な所作が板についていることに、当時からずっと憧れていたし、その気持ちが想起され、心が灼かれた。

 

結局何が言いたかったかというと、一番思い入れの強い元カノに数年ぶりに邂逅し、その人の一番好きな部分を間近で観察できたので余は満足じゃ。

あ、いや満足してませんね。すこーし心を乱されたので、その後帰宅して、平静を取り戻すためにギターの基礎練習に無心で取り組もうとするも、全然集中できんかった。

人は人をご飯に誘ったりしていいんでしたっけ?