#深夜の俺の戯言

昼間の戯言でも深夜テンション。

久しぶりに泣いた。

特に誰かに話したいわけではない。

ツイートしたりして「如何にも」構って欲しそうに見られるのが嫌だ。

 

繰り返すが、特に誰かに話しているつもりはない。俺のアウトプット方法は、どうやら話すより書くことにある。

繰り返すが、お得意のツイートをしない理由は「如何にも」構って欲しそうに見られるのが嫌だからだ。俺が書きたいから書く。辛いから書く。

 

夕方に髪を切り、その足ですき家に行った。午前中のゼミをサボったクセにいい御身分である。

すき家では白髪ねぎ牛丼の大盛りを食った。ネギ好きにはたまらない。会計は630円であった。

 

つくばの夜道は暗い。千香の裏路地を歩いていると、涙が溢れた。夜道に紛れたが故、歩行者に顔は見られていないだろう。

帰宅するやいなや、文字通りしくしくと泣いた。何が辛く悲しいのかすらいまいち分からない。ただ、本能が泣きたがっていた。

 

すき家からの帰り、その夜道に何があったか。

 

先日ネット上で簡単な鬱診断をした。10点以上で鬱っぽいとのことだが、結果は23点であった。良好で立派な鬱であると思われる。

「あー、俺は鬱なのかー」と自覚した。ネットスラングに洗脳され気味な我々は、心に闇を抱えた人のことをメンヘラと称したりする。

自分はメンヘラだと思っていたが、どうやら立派な鬱である。

 

鬱診断の項目には、これらがあった。

・物事に対してほとんど興味がない、または楽しめない

・気分が落ち込む、憂うつになる、または絶望的な気持ちになる

・寝つきが悪い、途中で目がさめる、または逆に眠り過ぎる

・疲れた感じがする、または気力がない

・あまり食欲がない、または食べ過ぎる

・自分はダメな人間だ、人生の敗北者だと気に病む、または自分自身あるいは家族に申し訳がないと感じる

・新聞を読む、またはテレビを見ることなどに集中することが難しい

・他人が気づくぐらいに動きや話し方が遅くなる、あるいはこれと反対に、そわそわしたり、落ちつかず、普段よりも動き回ることがある

・死んだ方がましだ、あるいは自分を何らかの方法で傷つけようと思ったことがある

(出展: http://www.cocoro-h.jp/depression/)

 

曰く、お笑いで一番外さずにウケるのは「あるあるネタ」らしいが、鬱病チェックリストをながめて「あるある〜笑」と笑う自分はまるで狂気だ。

 

その帰り道に、何があったか。

まずとにかく陰鬱であった。最低につまらなく、絶望があって、漠然と辛かった。

自分には何の取り柄もなく、生きている意味などなく、こんな子を大学までやった親が不憫で仕方なく思った。東大通りを爆走しているトラックに突っ込めば瞬時に粉微塵と化す。が未だ自死する覚悟はない。家族や恋人や友人やバイト先や、とにかく自分と関わる人に迷惑は掛けられない。

 

そういったことをごちゃごちゃと考えていたら涙が止まらなくなった。

このまま精神が自壊すれば間違いなく死ぬな、と直感した。同時にきっと生きたかった。

それ故、ここに毒を撒いている。

 

「自壊」という表現こそ、まさに正しい。

ここまで後がない状況を作り出した原因の数々、それら全てに於いて少なからず自分に非があると強く感じ、そのために強く自分を非難せざるを得ない。

無限に続く自己嫌悪の渦中で、自ずから壊れるのも時間の問題であった。

 

こんなにも消えて無くなりたいと思っているのに、ここに何かを書き残し、まわりへ助けを求め、生にすがるこの姿がなんとも見苦しい。

四苦八苦の四苦とは「生老病死」の四つである。生きることは、正しく苦しい。

同時に、すがりつくほどまでに生とは美しいものなのかと知る。

 

 

親への告白は、別の意味で辛かった。

「鬱かも知れない」と口にするのは心が張り裂けるようだった。自分の問題にも関わらず、この歳になって親に心配を掛けるのが辛かった。

心配して欲しいのに心配されるのも辛かった。全く面倒な奴である。

 

各方面にも申し訳が立たない。

友人には何度も話を聞いてもらった。それらをどうにも生かせそうにない。

ゼミに行けないと言ったら心配してくれて飲みにまで誘ってもらい、頑張れと声がけしてくれたゼミ同期の友人には合わせる顔が最早ない。

 

ただ自分を責めることしかできず、その結果自重に耐えきれなくなり、重力崩壊を起こす。

 

「死にたさ」と「生きたさ」が混在している。なんとも気持ち悪く、しんどい。

スベシとして生きている。大変に疲れる。

すがるような生がなんとも醜い。

 

 

鬱になるまでの過程はまたの機会に書くとして、今回は、すき家からの帰り道に唐突に泣いた理由を書き起こした。

21歳の男がボロボロと泣いたのである。それは側から見れば大変に滑稽であっただろう。しかし俺はその涙すら愛おしい。

醜さの中に美しさを見出す自分と、この精神状態で詩を歌おうとする自分がなんもと気色悪く、なんとも自分らしい。