最近慢性的に疲れている。心がしんどい。
理由はよく分からなかった。以前のように友人たちと酒を飲んだり、カラオケに行ったりしてストレスを発散できていないからかなあと考え、昨日の今日で昼飯に行く約束をした。
久々にゆっくり座って友人とご飯を食べた。まあ楽しかったが、根本から精神的な疲れが癒やされたようには感じなかった。
なんとなく手に取ったD.カーネギーの「道は開ける」の何となく開いたページに、
「悩んでも仕方のないことを悩むだけ無駄」
のようなことが書いてあった。そのとき、ふと気がついた。
最近、悩まなくてもいい問題について悩み過ぎていた。
テレビをつけると、アナウンサーやコメンテーターが政治や議員を叩いている。やれオリンピックを本当にするのか、ワクチン接種を年内に終えるつもりらしいけど(笑)とか、誰の失言があったとか。
あらゆる側面から我々の不安や焦燥感を煽ってくる。不安や焦燥に駆られ、購買意欲を煽り、巡り巡ってスポンサーに金が落ちる。
あらゆるメディアで同じことが起きている。新聞でも、ネットニュースでも、タイムラインでも。
何を見ても誰かが誰かを叩いている。不平や不満を漏らしている。
それを見ると次第に自分も「本当にオリンピックはやるべきなのか」とか「いつになったらワクチンは打てるのだろう」とか「日本の性の多様性とは」とか考え始めてしまう。その思考のモチベーションが不安や焦燥にあるから、考えれば考えるほど不安や焦燥が募る。
はっきり言って、これらの問題を考えるだけ無駄だ。
いくら五輪開催の是非について自分の意見を持っていたって、最終的な開催判断を下すのは自分ではない。責任を取る立場にもない。何故こんなにも悩む必要があったのか。
ワクチンも大人しく順番を待つ他ない。接種権が来て初めて副反応やらのリスクと向き合えばいい。
性の多様性の法案を通すのは自分ではない。悩む意味がない。なるようになるしかない。
「我々の意見が、世論が通らないのならば、なんのための民主主義だ」
冷静になって欲しい、世論は通らない。為政者を変えるのは選挙でしかできない。選挙と選挙の間に我々ができることはない。ならばそこに不満を持つそのエネルギーすら無駄だ。
考えなくてもいい、悩まなくてもいい問題に心を蝕まれている。
このご時世だ、私以外にも多く同様の状態の人がいるのではないか。
ヒトは共感能力が高い生き物だから、誰かが不安に陥るのを見れば自分もそうなる(それがメディアによる演出だとしても)。
対処方法はシンプルだ。民放のニュースやニュース風バラエティ、それからSNSから暫く距離を置く。これを実践してみようと思う。
心がしんどい誰かの役に立てば幸いです。
悩まなくてもいい問題を悩むだけ無駄です。