「『半同棲』ってなんだよ」
私が高校生、いや大学生になっても、その言葉の持つある種の矛盾が謎だった。
すべてカップルは、同棲しているカップルとそうでないカップルしかいないはずなのだから、そこに「半」という言葉を持ち出すのが理解できなかった。
0 or 1 で議論すべき問題に「小数も考えようよ」と言わんばかりの、まるでグループディスカッションで悪目立ちする学生のようだ。
ところがそんな私にも彼氏ができた。来週で1年を数える。
これまでの20余年、全く恋愛に縁がないというわけではなかったが、あまり上手くいった試しがない。それ故、正直少し驚いている。
相手はサークルで知り合った2個上の先輩で、顔は中の上といった感じ。お洒落には無頓着。しかし私は彼のスッと通った鼻筋が好きだ。
そして交際を始めて半年が経った頃(いやもう少し前だったか)、私は彼に合鍵を渡した。
かくして「半同棲」は始まった。
「半同棲」とは言い得て妙である。これは「同棲」でも「同棲でない」でもない。紛うことなき「『半』同棲」なのだ。
親しい仲の友人に打ち明けると、素直に羨ましがられた。
何が一番幸せかと尋ねられた時には
「『おかえり』と言ってくれる人がいてくれること」
と答えた。私は勿論、友人も赤面した。
彼はしばしばいなくなる。
というのも、どうやら方々に飲み友達がおるらしく、多い週は3,4日飲み歩いている。
玄関を開け、習慣になった「ただいま」の虚空に搔き消えるときが、ひどく寂しい。
寂しさを紛らわせるため、彼の外出に合わせて少し出掛けてみよう。
そう思い立った私は、電車を乗り継ぎ浅草へ赴いた。
初めての浅草は彼と一緒で、京都よりもずっと日本的だと思った。ゴタついた町並、狭い路地、新旧の融合、江戸の下町。
入学シーズンの只中、隅田川は正しく「春のうらら」で、花筏流れる川沿いを散歩した。
向こうにはスカイツリーが見える。アサヒビールの金色オブジェも変わらずにある。
当たり前の毎日はいつもどこにでもある。
土産に下駄を履いて帰った。下駄と言っても二枚歯は初めてのヒールよりも履きづらく、諦めて「普通の」下駄を選んだ。
春の夜のくすぐったい香りの中でわざとらしく下駄を鳴らした。
「ただいま」
「おかえり」
彼の帰りは思ったより早く、少し酔って抱きつく彼からは、悪い大人のにおいがした。