午前9時、JR飯田橋駅。
改装工事のために無駄に延びた駅のホームを歩いていると、金木犀が香った。
(こんな都心のど真ん中に金木犀…?駅ビルの植え込みに植えてあるのだろうか)
時候は9月の最終週。朝方は冷えてきたから、あながち花が咲いていてもおかしくはない。
(誰かの香水かな)
ただ、あの甘く爽やかな香りは、嗅ぐ度に強く秋を連想させ、実感する。
秋晴れの空の下、陽だまりの中に涼風を感じる、そんな風に乗って、毎年香ってくる。
匂いというものは、記憶に深く関連付けられている風に思う。
以前住んでいた住宅の目の前は小学校で、防砂的な役割を求められてか、道路沿いに金木犀が植えられていた。
毎年秋になると可愛い橙色の花を付け、通勤時に香りを嗅いでは、ほくほくとした気持ちになっていた。
その家には元嫁と一緒に住んでいた。
日々の暮らしの中にぽろぽろと記憶が落ちている。そういった欠片を、見て見ぬふりをせずに、ひとつづつ、ひとつづつ、丁寧に拾っていこうと思う。
別になんてことはない、ただ平穏な日々だった。
秋も深まってくると、彼女は茶色のもこもこしたカーディガンを羽織っていた。
胸元から袖口に共用財布を忍ばせたりして、よく近所に買い物に行った。
夕刻、近所のスーパーに買い出しに行った帰りや、夜のコンビニへアイスを買いに行った帰り、彼女と「いい匂いだね」と声を掛け合ったはずだ。
ところで夜も更けると、金木犀の香りが弱まることをご存じだろうか。
本当のところは知らないのだけれど。
ある年の秋に、窓を少しだけ開けて寝ていた。
明け方になった頃、ふと目が覚めると、寝る前には感じられなかった金木犀の香りが、一段と強く感じられた。たったそれだけ。それだけからの安易な推察。
いい香りが漂う寝室の、隣に最愛の人が寝ている。
そういう毎日を、ただ守りたかった。
最終的に破滅へ向かうことを当時は知る由もなかったが、心底幸せな時間だったと思う。
そういう瞬間瞬間が、何かの拍子にフラッシュバックする。
金木犀の香りとか、旅行先の景色とか、デート先の施設とか、インスタントの味噌汁とか。
この記憶は呪いだろうか。囚われ続ける限り、決して幸せになることができない予感がする。
だからひとつづつ解呪して、記憶がただの風景になる日が来ればいいと願っている。
iPhoneの写真機能が、彼女との思い出を定期的にピックアップして来る。
愛し合って家族にまでなった人間を、高々破局した程度で記憶から抹消することは、自分にとっては非常に酷なことだから、彼女の写真は消せないでいる。
そんな彼女は、離婚を切り出してきた翌日くらいに、何百枚もの写真をクラウドサーバーに上げていた。インスタの投稿からも、自分との記録はすべて消去していた。
ほら、こうやって。芋づる式に出てきてしまう。
そうじゃあなくて、iPhoneの写真機能のサジェストを見ないように心掛けてきたら、最近は彼女の顔すらおぼろげになってきている、と書こうとした。
存外、定期的な関係のある人間以外の顔は、記憶から消されていくように脳ができているのかもしれない。
それでも、一緒に過ごした時間の影がつきまっとて離れない。
こうやって書くことで、金木犀と秋のテーマは、自分の中で赦せる過去になってほしい。
いつだって祈ってばかりだ。