きっかけは色々あったと思う。
自分を愛せるようになった。
自分磨きの必要性を知った。
頑張ろうと思えた。
自分に対する向上心が持てた。
ギターを毎日頑張っている実績がある。
頑張っている俺は素晴らしいなと思っている。
友人から勧められてMOROHAの革命を聴いた。
そういう前提条件を全部ひっくるめた殴り書き。
以前までは誰かに認めてほしかった。
言うなれば神というか、特定個人ではなく、赦しが欲しかった。
その赦しを与えられるのは、何かの信者でない自分にとっては自分しかいなかった。
自分で自分の努力を認めてあげることができるようになった。
と同時に、自分に足りない部分や伸びしろがあることを知った。
何かに熱中すると、とことん熱中できることは、学生時代のゲーム三昧の生活を経て知った。一般人は飲まず食わずトイレにもいかず18時間ぶっ通しでゲームできないらしい。
時間を忘れて、それも毎日、飽きもせず長期間にわたって同じことをし続けられることが才能だと、他者に言われて気づいた。
最近はそれをギターでやっている。「ギターが上手くなりたい、曲を作りたい、いつかステージに立ちたい」といったことを目標にやっている。
その目標のために、どんなに酔って帰ってきても、毎日ギターを触る自分は偉いと思う。
練習時間のログも取り始めた。多い日は1日5時間くらい練習していた。土日ならもっとやれよと思ったりする。まだゲームほどではない。
自分で自分の努力を認めてあげられるようになったのに、練習時間のログをスクショしてインスタのストーリーに上げた自分がきもい。他者評価に頼るな。いいねを媚びるな。
努力は見せるな。その方が多分格好いい。成果物はどんどん公開したらいい。弾いてみたとか、完成した楽曲とか、そういう成果物で他者評価を得ろ。過程を見せびらかすな。二度と見せびらかすな。
ギターを頑張っている自分が格好いいなと自分で思ったから。他人からも格好いいと思われたかった浅ましさが出た。
大丈夫。成果物でちゃんと評価してくれるはずだから。焦るな。
そしてある日気づいた。この過程こそが「自分磨き」とやらなのでは?
元嫁との離婚騒動を経て、どん底を味わって、カウンセリングに通って自分を見つめなおし、起きた事実を自分なりに(部分的に都合よく解釈したり曲解したりしながら)受け入れて、乗り越えたと思った。
そしてまたいま、反省のフェーズにいる。
彼女が言った「冷めた」という言葉の本質やその原因が今ならもう少し高い解像度で分かる。女の言う「私だけを見て」は「でも私だけを見ないで」と続く。
俺はたぶん彼女のことしか見ていなかった。
最近気になる子ができて、この悲恋(恋なんて生ぬるいものではなかった、言うなれば家族を失った)を乗り越えたかな?と思えた。
それを機に自分は色気づき始めた。ようやく。
恐らく都内の私大生はそういうことを学生時代に先輩の見よう見まねでやるのだろうけれど、筑波とかいう茨城のクソど田舎にはそんな概念なかった。という言い訳。
まあいいんだ、意識し始めただけ偉い。
それで、恋愛系やメンズメンタルみたいなYouTube動画をめちゃくちゃ見るようになった。かなり女心や弱者男性の思考について、解像度が上がった。
話を戻すと、そういったYouTubeの情報収集から、元嫁との交際婚姻期間に自分は何が足りず、彼女は何を欲していたのかが見えてきた。
要は、当時の俺は現状に甘え、惰性で生きていた。メスからすれば何の魅力もないわけで。
正直、まあフラれてもしゃーなかったなとは思う。魅力のないオスを、結婚までしても損切りする元嫁の勇気に感服すらする。
それでいま、ギターを通して自分磨きをしていることに気づいた自分は、もっと外見でも修正して向上させられる点が無数にあることに気づいた。
最近見ているYouTuberのとある動画で、
「街中歩いてるとかわいい女は5秒に1人いる。でもどうだ、格好いい男はそんなにいない」
と言っていた。真理だと思った。
元嫁を思い出しても、女性は髪型からメイクからコスメグッズから服から、容姿に係わる事柄の何から何までについて、興味関心をもち、自分がよく見えるように研究を怠っていなかった。当然研究費も相当かかるだろう。
一方自分はどうだ。自分がよく見えるような研究は一切してこなかったではないか。
幸いなことに、顔面や体系が壊滅級ではないので、ある程度整髪してこざっぱりとした服を着ていれば一般人レベルにはなれるのだが、まあ全力でもそこ止まり。
こんにちになって、いざ外見に気を遣おうと思い、まずは化粧水と乳液を風呂上りにつけ始めるようになった。ギターを毎日続けられるのだから、こんな液体を顔に塗りたくるくらい毎日できないはずがない。
髪は櫛でとかしてから乾かし、最後は冷風を当てるようになった。
女の子がいる空間に出かける際には香水をつけるようにもなった。
そのあたりでふと気づく。こんなこと誰に教わったんだっけ…?
全部元嫁が教えてくれたことだった。
あまりにもその辺に無頓着な俺を憐れんでか、俺自身が本当に興味がなかったことも察しつつ、たまーにそういう美容に関することを教えてくれた。
眉の整え方とか、爪の磨き方とか、クリアネイルのしかたとか、ビューラーの使い方とか。
今になって彼女のことを愛おしいとは、自分でも残念ながら全く思わない。
しかし、こういった事柄の基礎を教えてくれたことにようやく気付き、感謝はしている。
いろんな感情が同時に押し寄せてきたので、整理してまとめる。
まず復讐心があった。「普通にイケメンになってお前を絶対見返してやる」と思った。憎しみとか呪いではない。なにくそ見てろよ、という反骨心のようなものか。
そして彼女の選択を恨んだ。なぜ離婚まで踏み切ってしまったのか。現に今、変わろうと思えている俺には、変われるポテンシャルはあったのではないか。
そして自分のカンの悪さに反吐が出る思いだった。彼女が当時、すべて教えてくれていた。なぜ当時気が付かなかったのか。なぜ無碍にしたのか。受け入れていたら違う未来が待っていたのか。
しかし過去は変えられない。自分を変えて未来を変えるしかできない。
ぜってーお前の選択を後悔させてやる、と思った。
しかしどうだ、死ぬまで彼女には会いたくないと思っている。許す許さないどっちが悪いどうこうではなく、死ぬまで会いたくない。死んでも向こうでも会いたくない。
であるならば、仮に俺が変われたとして、彼女は一体それをどう認知できようか?認知できない限り、後悔もしようがないではないか。
中高生の恋愛観かよ。きもいなあ。
別にあの女のために変わるのではない。自分のために変われ。
自分のために生きろ。女のために生きるな。
追うな。追わせろ。
無理な計画をするな、刹那的に今日を生きろ。
「いま一番大事なことをやろう!」キュアサマーの精神で生きろ。
自分のために生きる。
彼女からの最後の手紙にも書いてあった。
「もっと自分を大切にしてください」
卑屈な自分への、自己愛を持った方がいいよ的な文脈だったかもしれない。
自己愛の究極系は自分のために生きることで、それこそが人間としての魅力につながることをようやく理解した。
自分を優先しろ。やりたいことをやれ。場のノリとか雰囲気に流されるな。
今後やりたいこと
・全身脱毛
・カラーワックス買う
・季節ごとの服買う(ほかにも欲しいものがたくさんあるので、トレンドをしっかり追って、さっぱりしたユニクロとかでいい、ブランドでなくてもいいらしい)
・パーソナルカラー診断
・優しい美容師のいる美容院に行って似合う髪型を模索する
・爪やすり買う
この手の話は金掛けようと思ったら際限ないのだが、他にもやりたいことたくさんあるので、今は初心者だしほどほどにしておこうねと思っている。
人生始まったな。頑張ろうな。