#深夜の俺の戯言

昼間の戯言でも深夜テンション。

価値観について。

生きていく中で、本当に大切にしていることはなんだろう。

 

破棄こそせど、婚姻関係を結んでいた時分、または自他の幸せを心の底から願ったとき、真剣にその問題に直面した記憶がある。

 

そのとき初めて出した結論としては、彼女の眠る顔を眺めながら、今日という日が平穏無事に終わり行くことに感謝し眠る、それ以上でも以下でもない、ただそれだけの日常を過ごすことこそが至上の幸せだと定義した。

 

紆余曲折あり、彼女との婚姻関係を解消した結果、自分には新しい定義が必要になった。

自分の小宇宙にとってはコペルニクス的転換が必要だった。

 

結局、自分の感じるエモは、普遍性に裏打ちされる部分が大きいことに気がついた。

 

好きなものを列挙したい。

・月が好き。あらゆる月齢の月が好き。夕焼けの西空に輝く三日月、帰り道に高く輝く上弦の月、満月は言うまでもなく、終電で帰る夜に照る居待ち月、不規則な深夜徘徊で目の合う寝待ち月。全部好き。

・春が好き。長い冬が終わり、日が延びてきて、夕陽が照らす街街が好き。春風の運ぶほこりのにおい、ぬるい宵闇が好き。

・道端に咲く花々が好き。花壇には季節の花が咲き、通勤などの出かける際に、日々の変化を感じることが愛おしい。

・音楽が好き。とりわけ最近はギターが好き。適当な進行や、自分で作った曲を弾きながら、のんびりと時間を消費するのが大好き。先日21:30ごろ、家の近所の誰もいない見晴らしのいい公園にギターを持って行って、夜の風に吹かれながらエレキの生音を鳴らしたのは最高にエモかった。

 

ただ存在している自然をありのままの形で受け入れるときが、堪らなく幸せである。

 

今日の空の青さを愛したい。

 

飲み会帰りにコーヒーを買って、踏切の音を聞きながら時間を浪費したい。

 

そういった日々の瞬間瞬間を、きちんと知覚できるくらいの余裕を持って人生をしたい。

 

他人にとっては決して重要ではない時間かも知れない。

日常のふとした一瞬を切り取って、その健気な自然を見出したい。

 

石器時代から変わらないような、普遍的な美しさを探求し、それらを守りたい。