#深夜の俺の戯言

昼間の戯言でも深夜テンション。

母親の涙の意味を僕は生涯知り得ないだろう。

※この物語はフィクションです。

 

 

かねてより交際を重ねているお嬢様のご実家へ、先日「ご挨拶」に伺いました。

負け戦を好まぬ私は、二度三度とご両親に顔を見せ、その人となりを知って頂くべく、可能な限り努めて参りました。

 

結論から言うと、もう秒読みでしょう。

これ以上は語るまい。

 

ご両親、特にお母様とお話を重ねる中で、幾度かお母様を泣かせてしまいました。

べつに、私が無礼や粗相をしでかした訳ではないことは、予め弁明致します。

 

恐らく、これは私の推論に過ぎませぬが、お母様は愛娘との二十余年の思い出をその刹那に振り返り、その寂しさ故に涙した…のだと考えましたが、この涙はもっと重く価値のあるものだと、私は直感すると同時に、この涙を私は生涯流し得ぬと悟ったのです。

 

その涙には、確かに愛が込められていました。

 

「お嬢様と結婚させてください」と宣う、付き合って高々数年程度の若者のそれとは、全くの異質です。

私は彼らの中ではどこまでも余所者で、「血」で結ばれた確固たる絆は、私には共有され得ぬことを知りました。

 

完敗です。

私は彼女を愛しています。しかしそれでは足りぬのです。

彼女と苦楽のその全てを共に乗り越え、死により分かたれるまで愛を貫くには、まだ足りぬのです。

偉大なる母の愛の前に、私はどこまでもどこまでもちっぽけで未熟です。

 

私はまだ、彼女のためにあの種の涙を流せません。

 

曰く、お母様が旦那様の元へ嫁ぐとき、お母様のお母様は全く口を出さず「分かりました」の一言のみであったと言います。

表情一つ変えず、涙の一雫も零さず。

 

なんと凛々しく美しい女の覚悟か、と思いました。しかし、決してお母様を批判しているわけではありません。

そこに二つの時代と、女子の母親と、覚悟を見たのです。

 

 

 

お嬢様を連れ東京へ帰る飛行機の搭乗口、ふと振り返るとお母様が今再び泣いている。

 

思い出しのは、私の亡き祖母のことでした。

私の母の実家から都会の家へ戻るとき、祖母は毎度泣いていました。

「おばあちゃんないてる」と私が呟くと、口を一文字に結んだ母が、窓から目を背けて泣いていたのを覚えています。

 

あの涙だ、と思いました。

惜別や、別離や、手元を離れる恐ろしさ、寂しさ、成功を祈る気持ち、腹は減っていないか、貧しく苦しい暮らしをしていないか、毎日は楽しいか、貴女は今、幸せか。

 

私には知り得ぬその他多くの複雑な感情や想いが渦を巻き、女子の母親は泣くのでしょうか。

そして娘は、そんな母に無意識下で共感し、自ずと涙を流すのでしょうか。

 

私の考えを申せば、お母様のお嬢様へ向けた涙と、お嬢様の貰い泣きは異質であり、また、仮に私の母が遠くへ行く私に涙したとしても、それはまた異質であると思うのです。

況んや、男である私は、息子や娘に同質な涙を流せるのでしょうか。

 

 

お母様の涙に応えるために、私が出来ることは唯一つ、お嬢様を幸せにすることのみです。

私は彼女と「幸せになりたい」のですが、ご両親は彼女が「幸せであって欲しい」のです。

 

何処の馬の骨とも分からぬ男が、ある日突然門戸を叩き、愛娘を攫って行くのです。

これほど残酷なことがあるでしょうか。

彼女と幸せになることは、ご両親に対する償いでもあり、約束です。

 

 

しかし恐らく、彼女を幸せにしたとしても、「幸せな娘が故郷から東京に帰って行く、ああ、彼女にとってはもう東京は『帰る』場所なのか」という事実に直面したとき、お母様はまた泣いてしまう。娘の幸せを喜びつつ、何処か自分の力不足を感じてしまうのでしょうか。

 

 

お母様の涙は不憫でなりません。

私にその意味を理解できる日はくるのでしょうか。

私にその涙を止めることはできぬのでしょうか。