#深夜の俺の戯言

昼間の戯言でも深夜テンション。

思春期ムンク

高校3年生の体育祭の翌日のことだった。

在校生たちが後片付けに勤しむ中、僕と友人はふらふらと人目のつかない体育館裏あたりで油を売っていた。そこには使われなくなった机や椅子、ベニヤ板や何やらが雨晒しになっており、さながら校内の不法投棄所のようになっていた。

徐ろにその中へ立ち入ると、あるものを見つけた。いつかの文化祭で出店したと思しき飲食メニューの看板だった。短冊を二、三回り大きくした木製の看板だ。そこには「地獄炒飯」と「思春期ムンク」の二つが捨ててあった。

僕たちは先ず何より、その絶妙なネーミングセンスに惹かれた。地獄炒飯は唐辛子の効いた辛口チャーハンなことが容易に想像できたし、思春期ムンクは食べ物なのか飲み物なのかも不明だが、とにかく青春を叫びたい阿呆が看板の向こうに感じられた(当時はムンク=叫びのイメージしかなかったが、ムンクが思春期という作品を描いていたことは後に調べて知った)。

そして僕たちは、各々看板を持ち帰ることした。友人は地獄炒飯を、僕は思春期ムンクを担当することになった。この先進学・就職して住処が変わっても、この看板だけは絶えず家に飾ろう、と約束を交わした。青春だねえ。

そして進学とともに友人は京都へ、僕は茨城へ引っ越すことになる。彼が果たしてどこまで地獄炒飯と付き合っているか、実の所は定かではないが、少なくとも僕は未だに持っている。

約束通り、先ずは入学後に学生宿舎の自室に飾った。洗面台に置いたから、その存在を忘れる日は1日たりともなかった。そしてその後に越した家では、銀ラックの上や電子ピアノの譜面台の上に飾った。白のポスカで書かれたと見られる「思春期ムンク」の文字は、いつ見ても思春期を叫びたがっている。

社会人になり、同棲を始め、二人で暮らす新居の本棚の上に、思春期ムンクは飾ってある。彼女は当時交わした珍妙な約束を認め、小汚い看板を飾ることを許してくれた。優しい人だ。

今でも思春期ムンクが目に入ると、思春期の頃を思い出す。その度に思春期ムンクのホコリを拭っている。

 

別段、オチは用意していない。

ただ、Facebookの大昔の投稿に、思春期ムンクを抱えた僕と、地獄炒飯を抱えた友人の写真を見つけ、懐かしくなっただけだ。

皆は元気だろうか。昨年2月に大規模な同窓会をした翌週から、感染症が影響し始め、世の中は一変してしまった。

 

誰が書いたかも分からない思春期ムンクの6文字が、案外人生の思い出になっている。明日にでもホコリを拭おう。