#深夜の俺の戯言

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受けてきた教育を振り返る

四半世紀を生きた。知り合いにも子どもが生まれ始め、そろそろ命のバトンを次世代に渡すべき頃合いになった。

 

もし自分に子どもができたら、どんな教育を施すのだろう。

最近はそんな想像に駆られることが少し増えた。

自分が親から受けてきた教育を吟味し、良かったものは伝え、反省点を改善していくはずだ。そのためにも今一度、どんな教育を受けてきたか、どんな点が良かったのかを振り返ることにする。

 

良かった教育
1. 人にされて嫌なことはするな(母)

自身の人格形成の根幹を成す、非常に重要視しているメタ教育。

他者と円満な関係を持続させるために極めて重要。共感性が身につく幼少期に嫌というほど刷り込まれたため、共感性の発達とともに成長した考え方だと思える。

相手にされたら自分はどう思うか?と自分への問いかけに変換することで、幼少期の子どもにも理解しやすかったと考えられる。

この教えを徹頭徹尾遵守しているつもりだが、その結果として他者の陰口を言わない自覚がある。人間社会の中で自分を中心としたいざこざに巻き込まれるリスクがぐんと下がる。


2. 返事をしたらすぐやれ(父)

勤め人になってからこの教育の真価を実感することになった。勤め人ならではの教育ではある。

幼い頃は理由もよくわからず、「家事をやってくれ」と頼まれ返事だけしてゲームを続行しようものなら滅茶苦茶にどやされた。物理的な痛みを伴う経験から身についた習慣である。

他者からの依頼を早期に解決すればするほど、その人から信頼が得られ、社会で生きていく上で有利に働く。また、責任の所在をさっさと自分から放棄することで、他の仕事も円滑にすすめることができ、まさに一石二鳥だ。

この教育でもう一つ大切なポイントは、「できないなら返事をするな」ということである。着手までに時間がかかるならその旨を伝え、そもそも不可能ならやりますと言わない。なんでもかんでも頼まれたらすぐやれという教育ではないことに注意したい。


3. 開けたら閉める、点けたら消す(父)

要はもとあった状態に戻せという教育である。習慣化することでしか真価を発揮しない。いろんな部屋の電気をつけっぱなしだったり、ドアを開けっ放しだったりする人をよく見るが、他のシチュエーションも含め、他者に不快な思いをさせないための工夫である。他者に自分の行動を観察される場面でしか気づかれないため、習慣化する必要がある。


4. 人の目を見て話せ(父)

コミュニケーション術のひとつ。目を見て話すことで誠実な印象を与えて信頼を得られる。ある程度歳をとってから意識的に直そうとすることは困難に思われるため、幼少期からの習慣化が効果的だったと思う。


5. 人の話を聞くときは相槌を打て(父)

コミュニケーション術のひとつ。如何に相手に気持ちよく話をさせられるかに関わる。恐らく大半の人も相槌は打てるのだが、相槌に慣れている、上手い人ほどそのレパートリーが多い。慣れていないと「はい、....はい、...はい、....」と一辺倒になり、いざ話し始めるとオタク特有の早口になってしまう。

慣れていると「そうなんですか、ええ、はい、うわぁ、初めて聞きましたよ、へぇ~」など、意識せずとも会話に彩りを与えることができる。コミュ力に直結する教育である。コミュニケーション本にもよく「カメレオン相槌」みたいなテクニックが載っているが、要はあれと同じ。幼少期からの訓練で習慣化することができた。

 

…こうして振り返ると、社会の中で円満に生きる術を教わってきたことに気がつく。個人主体で生き抜くための教育は受けてない。その結果、なるべくしてなった人生を歩んでいると感じる。何か問題を個人のパワープレイで解決することは少なく、極力他者を巻き込んで解決することが圧倒的に多い。

 

せっかくだから、反面教師として次世代には改善したい教育も書くことにする。

 

改善したい教育

1. 暴力に頼る

なかなかバイオレンスな家庭で育った。外傷も後遺症も一切ないが、今でも両親に対して苦手意識があるのは事実である。親目線でそうなってしまうと悲しいし、弱者に対する暴力は倫理的に終わっているのでやめましょう。

 

2. 親マウントを取る

「気に食わないならこの家から出ていけ」「言う事聞かないなら夕飯抜き」など、子ども心にかなりショックだった。今にして思えば、子を「設ける」のは1000%親の責任であり、その責任を完全放棄する上のような台詞を自分は絶対に言いたくない。

このようなマウントを取る理由は、子は親の言うことを聞いて当たり前という前提があるからで、要は親サイドが対等な対話を試みないことが原因であると考える。

拙いなりに、子どもにも言うことを聞かない言い分がある。それを無視して理不尽で殴るような振る舞いは避けたい。

 

3. 努力を認めない

恥ずかしながら私は努力が習慣化していないが、これは教育に依るところも大きいと思う。

小学校程度のテストなら100点が当たり前だったが、それを褒められたことは一度もなかった。そこで努力を褒めれば、努力を積極的にするようになっただろう。

親からすればその程度当たり前で、褒めるに値しなかったのかな、と思ったこともある。しかしつい先日、実家でギターの練習をしていたところ、「なに練習なんかしてんの笑」と小馬鹿にされたが、そのときに両親は努力を認めない人なんだと確信した。そのような負の連鎖は自分の代で絶ちたい。

 

 

結局他人の家でどのような教育を施しているのか、身を以て体感することは不可能なわけで、そうなると自分の子どもには自分の受けてきた教育しか施せない。

 

限られた情報を活用し、過剰な情報には踊らされず、良き親になりたい。